パンプキン・シザーズ 2・3 岩永亮太郎

「京君にとって、燃える展開ってなんですか?」
「また藪から棒に。そうだな……まず『ピンチからの逆転劇』だな。『冒険王ビィト』のクリニデ戦みたいな。連載復帰が待ち遠しいよ」
「『冒険王ビィト』は単行本では盛り上がりが凄い所で切れてますものね。ファンとして、稲田浩二先生の復活を願ってます。」
「同感だ。さて、次に『強力な敵と対等に渡り合う』だ。今まで勝てなかった、または通常勝てるはずの無い相手と互角に戦う姿には心躍る。『パンプキン・シザーズ』は基本的にそういう話だな」
「なんてったって戦車と生身の人間が戦うのですもの。生半可な強さではどうにもなりません」
「ああ。単行本最新刊*1までで一貫しているのは、『戦車と戦うのは伍長のみ』ってことだろうな」
「……それはネタバレでは?」
「ネタバレかも。しかし、『パンプキン・シザーズ』とはそういう漫画だからな」
「伍長さんVS戦車を無くしては語れない、ってことですか」
「そうなる。さて、件の2・3巻だが、主に『水道局編』で構成されている3巻後半は『舞踏会編』のさわりだな。とりあえずこの項では『水道局編』の紹介をしようと思う。古都、あらすじを頼むよ」
「はいです。アリス少尉率いる『陸軍情報部第3課実働隊』は広大な地下水道に住む難民を保護する任務を遂行します。しかし、その過程で大規模な麻薬取引の存在を知り、取引の撲滅を試みようとしますが……」
「そんな感じだ。麻薬は国民の活力を奪っていくからな。『戦災復興』が主任務であるアリスたち3課にとって、重大な『敵』だ。そして伍長の前にも強力な『敵』そして『仲間』が現れる」
「『仲間』ですか。彼は可哀そうな人でしたね……」
「ああ。彼もたくさんの被害者の一人だ。戦争は確かに悲惨だ。多くの人の心を奪っていくからな。しかし、もっとも悲惨なのは『戦後』なのかもしれん。心は、奪われてもすぐには気付かないものだからな」
「戦争は私も嫌です。何より本が読めなくなるのがつらい」
「うむ。言論弾圧は厳しいものになるだろうな。『表現の自由』は一度失うと取り戻すのに大変な労力を必要とする。だから、何よりも優先されなきゃいけないと俺は思う」
「しかし、思うだけでは何にもならないじゃないですか」
「もちろんそうだ。伍長は彼を救いたいと思った。だが……」
「……」
「……」
「……『救いは必ず有るから』でしたっけ? 『わたしの狼さん』のキャッチコピー」
「そうだったはずだ。そう思うから、救いが生まれる。何事もまず思わなければ行動もできないだろう?」
「私も思いますよ。思ってます。ですから、そろそろ行動を開始しようと思います」
「強盗を?」
「行動を」

 人間焼ケバ… 少シダケ 心 温カイ  
(『パンプキン・シザーズ3』ハンスの台詞より引用)

Pumpkin Scissors(3) (KCデラックス)

Pumpkin Scissors(3) (KCデラックス)

*1:3月21日現在

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ 滝本竜彦

「古都には今、戦っている敵はいるか?」
「……何です急に。ここは安全な私の住まい、敵なんているはずありませんよ」
「訂正しよう。俺の住まいだ。
 うむ。やはりいないよな。それが普通のお嬢さんの考え方だ、古都よ」
「……本に影響されておかしくなってしまったのですね、可哀そうに。ここは私の住まいですよ? さて、何と言う本に影響されたのか白状してくれますか?」
「白状って……それにここは俺の部屋……。確かに『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』っていう小説を読んではいた。だが、『影響された』っていう言い方はして欲しくないな。こういう話を振れる人間が身近にお前しか居ないんだ、仕方無いさ」
「『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』。滝本竜彦先生の青春小説でしたっけ?」
「だいたい当たってるが、『青春小説』っぽさはそれほど濃くないな。さあ、あらすじを頼む」
「はいです。
 主人公兼語り手の……名前は忘れましたが確か……そう、山本君は、帰り道の雪降りしきる小道でナイフ片手に華麗に戦う戦闘美少女・雪崎理絵さんと出会う。その日から、チェーンソー片手に襲い来る謎の男との戦いに時間と体力を費やす生活が始まった。こんな感じでいいですか?」
「そんな感じだな。しかし、『青春小説』っていうと『青い空、広がる世界、野球だ! サッカーだ! 芸術だ! 俺達頑張ったよな! 楽しかった!』っといったのが大多数だが、この小説は違う。舞台は、曇天の広がる中雪がひらひら舞う冬の世界。主人公が立ち向かう相手は傍から見れば『自己実現』とは程遠い『チェーンソー男』だ」
「学園モノを題材にしている作品の中では異色でしょうね」
「だからこその『角川学園小説大賞特別賞』受賞なんだろうな。しかし、それだけじゃないのが滝本竜彦先生のすごいところだ」
「他にはギミックがいいですね。バレバレではありますが」
「バレバレ具合がいいじゃないか。う〜んコレを明かすのは『ネタバレ』だから言わないでおくか。その他デビュー作にしては内容が非常に濃い。深い考察が無ければ書けないような描写がいくつもされている」
「家庭訪問のシーンとかですか? あそこ好きです私」
「他にも色々あるな。『渡辺』というキャラクターの作りこみとかさ。
 ともかくこの小説は、『解説』で西尾維新先生が述べられているように主人公達の『幸福追求』がテーマとなっている。その形の多様さと、客観的には無駄であることも主観的には大きな意義を持っている場合も有る、っていうとっても大事なことが『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』という作品にはこめられているんじゃないだろうか」
「巻末に付いている西尾維新先生の『解説』は名文です。この作品に興味を持った方で、手に取ることを迷っているのなら、是非『解説』だけでもさらりと読んで頂きたいです」
「『幸福』には色々な形がある。勝利することが『幸福』である人もいれば、戦い続けることが『幸福』な人もいるんだ。そういう多様性を認めることは、人間として必要なことだと思うな。その『幸福』が絶対的に幸福かどうかは、さて置くとしてな」
「そうですね。という訳で、私の『幸福』を認めて頂けますか?」
「……古都の『幸福』って何だ? 大体分かるけど」
「もちろん、この部屋の所有権の移譲です! 私への!」
「……やっぱりこいつ、強盗なんじゃないだろうか……」

 青いだけあって、とても青臭い。だけど、それでもいい。恥ずかしいことは何もない。顔を赤らめる必要も無い。あのころの気持ちは全部本当のことだった。いまではもうよく思い出せないけど、あのとき僕らは、確かに誰かと戦っていた。 (『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』あとがきより引用)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

MOMENT 本多孝好

「隣の客はよく柿食う客だ。隣の客はよく柿食う客だ。隣の……」
「また早口言葉か。今度のは言えてるじゃないか」
「ええ。『東京特許』が苦手なだけです。滑舌はいいほうなんですから、私」
「ふーん……本読みながらとは、やるな。『新進シャンソン歌手総出演新春シャンソンショー』。これはどうだ?」
「ええと、 新進シャンソン歌手、総出演新春シャンソンショー。どうです?」
「読点が入ったが、まあ十分か。ちなみに『滑舌』という言葉は辞書に載っていないことが多い単語だ」
「へえ。豆知識ですか?」
「豆知識だ。断じてIMEでは変換が効かなかったから調べた、とかいったことではないがな。さらに豆知識だが、ATOKでは変換できる」
「豆知識ですね」
「豆知識だ。それで、さっきからボソボソ言いつつ何を読んでるんだ?」
本多孝好先生の『MOMENT』っていう小説です。これで二週目になるかな」
「お前の本を読むスピードは、私の比じゃないな……」
「これでもゆっくり読んでるつもりですよ。早口言葉を控えればこの五割増しのスピードが実現可能です! ともかく、いいお話ですね、『MOMENT』」

《「生」や「死」と向き合う話》

「俺はうろ覚えだな。あらすじを説明してくれるか?」
「えっと、主人公『僕』は大学生。とある病院の清掃員としてアルバイトしていたが、ひょんなことからその病院で伝説として語り継がれている『死ぬ前に一度だけ願いを叶えてくれる仕事人』として、死に行く人々の願いを叶えて回るようになった。こんな感じでいいですか?」
「そうだったな、ありがと。
本多作品の世界観は優しいようでいて厳しい、かもしくはその逆に感じる人もいるだろうな。優しい人のどす黒い描写をさらりと描く作家さんだ」
「情景描写も素敵でした」
「そうだな。俺が本多作品に初めて出会ったのはこの『MOMENT』だが、冒頭にあった夕焼けの描写で購入を決めた。程よいキザさが俺の好きなタイプど真ん中だったんだ」
「ほええ。つまり立ち読みか何かでお知りになったと?」
「そう。あの立ち読みが無ければこの本は今ここに無かった、と言っていいな。古都が読むことも無かったはずだ」
「お話のテーマとしては『死ぬ瞬間に何を考えるか』というのが一つ。もう一つは『安楽死』でしょうか」
「『安楽死』はかなり重いテーマだ。ここではこれ以上は触れないが、考えておくべきテーマだろうな。親しい人が『死んだ方がマシ』な苦しみを味わっている時、自分は何ができるか、何をすべきか、ってね」
「いつ当事者になるかは分かりませんものね」
「ああ。急に決断を迫られても困らない、もしくは少しは冷静になれる程度の知識と考察は必要だろう。で、もう一つのテーマ『死ぬ瞬間に何を考えるか』だ。主人公はいくつもの人の死を見送って、残されていく自分の生に対する深い考えを持ち始める。そうでなければ最終章で老人に返した《『死ぬ瞬間に何を考えるか』という問い》に対する答えは出てこないだろうな。主人公の感じたことに共感できるかどうかはその人次第だけど、それを知ることに価値はあると思う。
 この作品はほんのり悲しくて暖かい本が読みたい人や、バトル漫画に少し疲れた人、綺麗な情景描写に触れてみたい人に薦めたい」
「ふむふむ。やっぱりもう一度読み込んでみますか」
「仮に早口言葉をつぶやくなら、できればもう少し小さな声で頼む」

 ふと気付いた時には部屋は赤に染まっていた。一流ホテルのスイートとは言わないまでも、シティホテルのセミスイートくらいの値段はするという。特別室はこの病院で一番見晴らしのいい最上階の角にあった。一般病室よりも一回り大きな窓の向こうでは、沈みかけた夕陽が見下ろす世界のすべてのものに明日の再会を固く約束していた。 『MOMENT』ACT.1冒頭より引用

MOMENT (集英社文庫)

MOMENT (集英社文庫)

ワールドエンブリオ World Embryo ① 森山大輔

東京特許許可局局長今日許可かっきゃ……うう……。東京特許許可局局長今日許可かっきゃ……」
「何を言っている?」
「……何って、早口言葉ですよ」
「そうか。『かっきゃ』って何だ?」
「どうしても言えないのです……あんまりバカにすると、さすがの私も怒りますよ?」
「もう怒ってるだろ」
「そうでもないです。で、京くんは何をしているのですか?」
「漫画読んでる。見て分からない? もちろん、この形式を取っている以上仕方ないのは分かるけどさ」
「なんていう漫画でしょう?」
「『ワールドエンブリオ』だ。それの一巻を読み返しているところ」
「ふーむ、聞いたことないタイトルですね。どんな漫画なんです?」
「いわゆる『能力バトル』モノだ。『刃旗(じんき)使い』と呼ばれる人間の勢力と、『棺守(かんしゅ)』と呼ばれるヒトに寄生する怪物たちの戦いを描いた作品。『柩守』の設定や様態は『遊星からの物体X』や『寄生獣』なんかの敵役に近いものがあるが、大きな違いは一つ。携帯電話を媒体としている点だ」
「携帯電話ですか? う〜ん、確か『屍姫』でも似たような話がありませんでしたっけ」
「あっちのとはかなり違う気がするが……。まあ、携帯電話による感染、って言うのはそれなりに使われた設定ではある。問題は主人公の立場だな」
「と言うと?」
「分類すれば『巻き込まれ型』に当たる主人公、天音陸は居なくなった女性・天音の足跡を求めて訪れた廃病院で、旧友・武部洋平と出会う。そして現れる怪物、『棺守』たち。『刃旗』を用いて怪物たちと戦い出す武部とその相棒・有栖川レナ。
 はい。ここまででは陸は紛れも無く『巻き込まれ型』だ。彼自身には力もなく、戦う理由も無い。こういった場合、次に行われる工程は何か」
「それは、力を身に付けたり、理由を見つけたりする、とか?」
「その通り。いわば『必要手続き』だな。陸は戦いの中、『繭』を見つける。中から出てきたのはもちろん、ヒロインだ」
「ここへ来て『ボーイ・ミーツ・ガール』ですか」
「うん。ヒロインはもちろん、表紙に描かれてる少女だ」
「……幼女ですね」
「正確には、幼女だ。絶世の美女でも寡黙な美少女でも戦う女戦士でもなく、幼女だ。幼女と言うより、初登場時ではまだ赤ん坊と言ってもいい」
「それはまた、意表を突いてきますね」
「探せばありそうな設定だけどな。俺の知っている作品で例えれば『寄生獣』だ。ミギーは姿こそ右手だったが、登場時は知能も幼いものだった」
「もしかして、寄生生物のように成長していくのですか? ヒロインさんが」
「そうなる。身体的な成長は非常に顕著だ。ヒロインの成長、ってのはこの作品の魅力の一つだろうな」
「精神的とか、技術的な成長を描いた作品は多いですが、身体的ってのは変わってますね」
「『鋼の錬金術師』の主人公・エドワードも終盤に差し掛かった辺りで身体的な成長が見られた。もちろんこの『ワールドエンブリオ』よりはるかに長い時間を、作中においても現実世界においてもかかっているけどな」
「短時間で成長を楽しめる。育成ゲーム的な面白さがある、と言うわけですか」
「その通り。そしてこのヒロインの存在が、主人公の戦う理由に、さらには力になりうる」
「理由は分かりますが、力ですか?」
「まあその辺は読んでみれば分かる。ここがさっき言及した『主人公の立場』に関わってくるんだが……。
 さて、まとめる。『ワールドエンブリオ』の見所は一巻時点では主に二つ。一つは既に挙げた『ヒロインの成長』。最終的にどんな美女になるのか楽しみにしてく欲しい」
「見たところ二巻までしか持ってらっしゃらないじゃないですか」
「……まああくまで予測だ、予測。実際にどうなるかは責任持てないぞ
 二つ目は『戦闘シーン』だ。なかなか迫力の有るバトルが描かれている。今のところ『能力バトル』というほど戦術が練られていたり多様な能力が登場しているわけではないが、刃物を使った戦闘が好きな人には薦められるな」
「さあ、二巻以降も買ってきてくれますか?」
「……古都、読むのか?」
「読みます。私は読むの速いですから、できるだけ急いで買ってきてくれれば嬉しいですよ」
「……分かった。……強引な女め」
「何か言いましたか?」
「言ってないよ。独り言だ」
「言ってるじゃないですか、独り言」
「独り言はノーカン。早口言葉と一緒さ」

ワールドエンブリオ 1 (ヤングキングコミックス)

ワールドエンブリオ 1 (ヤングキングコミックス)

名前1



 ドアを開けると、強い風が吹き込んできた。春らしい天気だ。


「それじゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃませ。お夕飯はいつごろになります?」
「八時までには戻る。飯は先に食べててくれ。材料は冷蔵庫にあるから……ついでに俺の分も作っておいてくれると嬉しい」
「はいです」


 と、ここで私は一抹の不安を覚える。
 考えてみれば、部屋に残していく女は今朝出会ったばかりの人間で、さらに言えば名前も知らない。つまり、新しいタイプの強盗、という可能性も無いわけじゃないのだ。もしくは詐欺師か。
 部屋に貴重品はそれこそ本ぐらいしか置いてないから、特に問題は無いのだが……帰ってきたら部屋が空っぽ、なんて事態は避けたい。
 一旦追い出して、私が家に帰ってきたら呼び戻すか? いや。しかし、寝ている時も部屋に居るのだから、強盗しようと思えば簡単に寝首を掻ける。そもそも、今朝私が起きた時には部屋に居たんだ。彼女が盗人なら住人が起きる前にとんずらしているだろう。


「……」
「どうしました? 遅れちゃいますよ」
「いや……お前を部屋においておくのが少し不安になってな」
「まさか、私が一人で留守番できないとでも思っているのですか? 言っておきますが、私はあなたよりお姉さんですよ。ただし、一人のレディとして、実年齢には言及しませんが!」
「……まあいい。……ん。そう言えば」
「なんですか?」
「お前には、はなはだ不自然だが名前が無い。呼ぶときに困る。ずっと『お前』と言うわけにはいかないだろう?」
「そう言われてみるとそうかもしれません」
「そう言う訳で、帰ってきたら便宜上の仮名を決めよう。考えておいて」
「はいです。参考までに、と言うか今まで聞かなかったのもおかしいのですが……あなたのお名前は?」
「そうか。まだ言ってなかったな。みやこだ。京都の京の字で、京」
「いい名前ですね。では、京くん、行ってらっしゃい」
「『くん』付けか……行ってくる」




「ただいま」
「おかえりなさいませ、京くん。ご飯にします? お風呂ですか? それとも、わ……」
「その台詞は未来の旦那にとっておけ。俺に使ってもしようがない」
「そうでしょうか?」
「そうだ。飯はもう食べたか?」
「ちょっと不服です……まだ食べてませんよ。食べましょうか」




「それで、名前は決めた?」
「はい。卑弥呼なんて……」
「阿呆。俺の部屋を邪馬台国にでもする気か? 支配者はお前になるのか? 呼ばれる方はいいかもしれないが、呼ぶ方の気持ちになってくれよ」
「う〜む、弱りましたね〜」
「……楽しんでるだろ」
「はいです」
「……」
「……♪」


 名前。名前が無い人物に私がこれまで会ったことがあるか?
 無いはずだ。問えば、誰しも自分の名前を返した。
 名前。


「そうだ」
「ん?」
「きょう、なんてどうでしょう?」
「きょう? どんな字?」
「古い都と書いて、きょうです。ちょっとお洒落でしょう?」
「へえ……いいんじゃないか。呼ぶのも楽だし」
「えへへ。今日から私は古都です。ただ、これはあくまで仮の名前。私の目的をお忘れなく」
「名前を探す……よく分からんが、どうしてかこの女を、受け入れちまった……」
「何か言いました?」
「いや……」


 名前。名前か。
 私は私の名前を覚えている。しかし、今まで出会った、すれ違った人々のうちの、ほとんどの人間の名前を覚えていない。
 忘れてしまった名前はどこへ行くんだろう?


「さあ、ご飯も終わりましたし、お皿を洗いましょう。さあ。……京さん?」
「……っとすまん。なんだ?」
「もう。考え事ですか?」
「いや。……少し、このオムライスのレシピを夢想していた。旨かったよ」
「ありがとうです。なんならレシピ、教えましょうか?」
「俺が作っても、こうはいかんだろう」
「……そんなに下手なのですか」
「……悲しいけど、な」

スカイ・クロラ The Sky Crawlers 森博嗣



 鞄に荷物を突っ込む。できるだけ早めに準備して、のんびり時間を過ごした方がよい気分になれる。15分前行動は私の行動規範である。


「午後は出かけるんですか?」
「うん。バイトだ」
「学業はどうなんです。しっかり勉強してますか?」
「……お前に聞かれる筋合いは無い」
「私はこう見えて社会人ですから。しっかり働いてますよ」
「そうなのか?」
「そうですとも」
「……とても見えない。見た感じ俺より明らかに年下じゃないか」
「若く見えるだけです。実際は……おっと、レディとしてこれ以上は言えませんね」
「……」


 私はベッドに寝転んで、今後のことを考える。この女を置いて家を出ていいものか、そもそもこの女は何がしたいのか。静かだった私の生活の行く末が、はなはだ不安だ。


《「余計な描写が無い」戦記小説》


「それで、さっきから何を読んでいるんだ?」
「あ、本棚にあった本を勝手に読んでました。もう半分以上読んじゃいましたね……すみません」
「構わない。……『スカイ・クロラ』か」
「ええ。綺麗なお話ですね」


 森博嗣先生の『スカイ・クロラ』は戦闘機乗りの「僕」を中心に架空の戦記を描いた作品だ。ただ、あくまでも「僕」の身の回りで起こった戦闘のみを記述しており、大局的に戦争がどのように動いているのか、といったことは語られていない。
 アニメ映画化もされたから、知っている人も多いだろう。『スカイ・クロラ』シリーズの第一作でもある。
 淡々としながらも綺麗な描写が特徴だ。


森博嗣先生は『すべてがFになる』っていうミステリ作品でデビューされた作家さんだ。『スカイ・クロラ』はそれまでの作品と違ってミステリじゃないけどな」
「森先生の飛行機好きさが伝わってくる作品ですね」
「そうだな。他にも飛行機が出てくる作品として『魔剣天翔』があるけど、あちらも気合が入った作品だった」
「ふむ、今度はそちらも読んでみましょうかね」
「えっと、たしかその本棚の三段目右側にあるはずだ。ただし、『魔剣天翔』は瀬在丸紅子たちのVシリーズの中盤。先にVシリーズを読み進めてからの方がいいと思う」
「了解です」
スカイ・クロラ』もシリーズ物で、時系列的には最後になるけれど、こちらはどういう順番で読んでもいいはずだ。刊行順に読んだほうが楽しいとは思うけどな」


スカイ・クロラ』のテーマの一つに「子供と大人」というものがある。

 
「主人公たち戦闘機乗りの多くは『キルドレ』と呼ばれる『永遠の子供』だ。彼らは外見年齢はずっと子供のまま、成長しない」
「戦闘機パイロットは軽い方が有利って良いますものね。子供のままというのは利点なのかな」
「無駄に知識があるなお前……体力の問題もあるから微妙なところだろうけどさ。ともかく『キルドレ』たちは空に生きる。彼らはそれを当然だと思っていて、それに『殺す』っていうことに対する感覚も普通と少し違っている」
「『パンプキン・シザーズ』とは違った視点から、ですか?」
「そうなるな。『パンプキン・シザーズ』も『殺す』っていうテーマを扱っているが、論理の発展法も、とりあえずの結論も『スカイ・クロラ』とは随分違う。まあ、『パンプキン』はまだ完結していないから、結論は出ていないんだけどな。」
「『殺す』。私は少なくとも、殺されたくはないなあ」
「俺もそうだ。しかし、殺さなきゃいけない場面ってのに遭遇したら、『やらなきゃやられる』状況に置かれたら、どうなるか分からない」
「ん〜……難しいところですね。自分一人で考えるのも必要ですがまずは見識を深める為、色々本読みましょう」
「かと言って、俺の部屋で読む必要も無いと思うが……」
「何か言いました?」
「いや……ともかく『スカイ・クロラ』は良い作品だ。哲学的な気持ちに浸ってみたいって人や、戦闘機バトルで燃えたい、なんて人に特にオススメする」
「……今度は何と話しているんですか?」
「……秘密だ」

 誰にもわかってもらえないのにちがいない。
 わかってもらう必要など無いのだ。  『スカイ・クロラ』より引用

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

パンプキン・シザーズ 1 岩永亮太郎



 私はやっと完全に目覚めた。普段は半分夢の中で着替え、朝食を食べずに外出するが、今日は違う。


「旨いなこれ」
「そういってもらえると嬉しいです」
「うん。ただの卵焼きだけどさ、俺が作るのよりは圧倒的に美味しい」
「料理はいつもされるのですか?」
「多少はな。一人暮らしだし」
「苦手でしょう?」
「……うん。菓子作りは結構得意なんだけどさ」
「そうですか」
「……」
「……」

 沈黙。
「本当の友人関係とは、沈黙が気まずくないものである」と私はつねづね思う。もちろんこの場合の沈黙は、そうでない。

「……」
「……」

 彼女は微笑んだ。私はきっと、あんなに上手くは笑えない。


《強烈なメッセージ性と、戦闘シーンの鮮烈さ》

「それはそうと、本が多い部屋ですね」
「ああ。数少ない趣味だからさ」
「これは?」
「漫画だな。『パンプキン・シザーズ』っていう少年漫画だ」
「……読んだことあります、私」
「へえ。変わってるな」
「本は何でも読むんです。好きですから」

 岩永亮太郎先生の『パンプキン・シザーズ』は、あまり女性向けの作品ではない。私が少年漫画をよく読むのは、おそらく兄の影響だろう。

「う〜ん……どんなお話しでしたっけ? 一巻の内容はうろ覚えです」
「オーランド伍長とアリス少尉たちが出会うところからだ」
「そうでしたね。たしか、ダムのお話でしたっけ?」
「それから、外道領主の話とトンネルの話もだな。最初の二つの話は『パンプキン・シザーズ』の肝である『伍長VS戦車』戦がクライマックスになってるな」
「戦車に人間が立ち向かう、なんて最初に読んだ時はどうかしてると思いました」
「俺もだ。しかし、伍長――『901ATT』はそれをやってのける」
「すさまじいシーンですよね。初期の頃の岩永先生の絵はまだ安定していませんが、伍長が戦っている姿は気合入ってます」
「鬼気迫るものがあるな。それは、連載が長く続いている現在も衰えていない」


パンプキン・シザーズ』は「戦災復興」という、あまり手が付いていないテーマを取り扱った作品だ。
 戦中でも、平和でもない時代を舞台に、「戦災復部隊・陸軍情報部第3課」が奔走する姿を描く。


「私はアリスさんが好きですね。どこまでも真っ直ぐで、しかし意固地過ぎではない」
「うん。トンネルの話では『貴族としてのアリスと軍人としてのアリス』っていうアリスというキャラクタのテーマのさわりを示しているな」
「派手ではないけれど、重要な回ですね」
「このテーマは、伍長の『殺すこと』というテーマと共に、作品の軸となるところだ。そこに非常に大きなメッセージが込められている」
「『舞踏会編』や『回転木馬編』なんかの後に控える長編でも、かなり深く切り込んできます」
「血みどろで狂った戦闘シーンが読んでみたいって人や、強烈なメッセージ性のこもった作品を求めてる、なんて人に一押しの作品だ。読んでない人は、一巻だけでも読んでみてはどうだろうか?」
「……誰に話してるんです?」
「……卵焼きに、な」