MOMENT 本多孝好

「隣の客はよく柿食う客だ。隣の客はよく柿食う客だ。隣の……」
「また早口言葉か。今度のは言えてるじゃないか」
「ええ。『東京特許』が苦手なだけです。滑舌はいいほうなんですから、私」
「ふーん……本読みながらとは、やるな。『新進シャンソン歌手総出演新春シャンソンショー』。これはどうだ?」
「ええと、 新進シャンソン歌手、総出演新春シャンソンショー。どうです?」
「読点が入ったが、まあ十分か。ちなみに『滑舌』という言葉は辞書に載っていないことが多い単語だ」
「へえ。豆知識ですか?」
「豆知識だ。断じてIMEでは変換が効かなかったから調べた、とかいったことではないがな。さらに豆知識だが、ATOKでは変換できる」
「豆知識ですね」
「豆知識だ。それで、さっきからボソボソ言いつつ何を読んでるんだ?」
本多孝好先生の『MOMENT』っていう小説です。これで二週目になるかな」
「お前の本を読むスピードは、私の比じゃないな……」
「これでもゆっくり読んでるつもりですよ。早口言葉を控えればこの五割増しのスピードが実現可能です! ともかく、いいお話ですね、『MOMENT』」

《「生」や「死」と向き合う話》

「俺はうろ覚えだな。あらすじを説明してくれるか?」
「えっと、主人公『僕』は大学生。とある病院の清掃員としてアルバイトしていたが、ひょんなことからその病院で伝説として語り継がれている『死ぬ前に一度だけ願いを叶えてくれる仕事人』として、死に行く人々の願いを叶えて回るようになった。こんな感じでいいですか?」
「そうだったな、ありがと。
本多作品の世界観は優しいようでいて厳しい、かもしくはその逆に感じる人もいるだろうな。優しい人のどす黒い描写をさらりと描く作家さんだ」
「情景描写も素敵でした」
「そうだな。俺が本多作品に初めて出会ったのはこの『MOMENT』だが、冒頭にあった夕焼けの描写で購入を決めた。程よいキザさが俺の好きなタイプど真ん中だったんだ」
「ほええ。つまり立ち読みか何かでお知りになったと?」
「そう。あの立ち読みが無ければこの本は今ここに無かった、と言っていいな。古都が読むことも無かったはずだ」
「お話のテーマとしては『死ぬ瞬間に何を考えるか』というのが一つ。もう一つは『安楽死』でしょうか」
「『安楽死』はかなり重いテーマだ。ここではこれ以上は触れないが、考えておくべきテーマだろうな。親しい人が『死んだ方がマシ』な苦しみを味わっている時、自分は何ができるか、何をすべきか、ってね」
「いつ当事者になるかは分かりませんものね」
「ああ。急に決断を迫られても困らない、もしくは少しは冷静になれる程度の知識と考察は必要だろう。で、もう一つのテーマ『死ぬ瞬間に何を考えるか』だ。主人公はいくつもの人の死を見送って、残されていく自分の生に対する深い考えを持ち始める。そうでなければ最終章で老人に返した《『死ぬ瞬間に何を考えるか』という問い》に対する答えは出てこないだろうな。主人公の感じたことに共感できるかどうかはその人次第だけど、それを知ることに価値はあると思う。
 この作品はほんのり悲しくて暖かい本が読みたい人や、バトル漫画に少し疲れた人、綺麗な情景描写に触れてみたい人に薦めたい」
「ふむふむ。やっぱりもう一度読み込んでみますか」
「仮に早口言葉をつぶやくなら、できればもう少し小さな声で頼む」

 ふと気付いた時には部屋は赤に染まっていた。一流ホテルのスイートとは言わないまでも、シティホテルのセミスイートくらいの値段はするという。特別室はこの病院で一番見晴らしのいい最上階の角にあった。一般病室よりも一回り大きな窓の向こうでは、沈みかけた夕陽が見下ろす世界のすべてのものに明日の再会を固く約束していた。 『MOMENT』ACT.1冒頭より引用

MOMENT (集英社文庫)

MOMENT (集英社文庫)