すべてがFになる The Perfect Insider 森博嗣

「物語における『天才』ってなんでしょう?」
「大抵が設定先行になってしまう、描写が難しい存在だろうな。周囲のキャラクターは『天才だ天才だ』と持ち上げるが、その『天才』っぷりが読者に伝わるか、という段階になると難しい」
「お話には挫折が付き物ですものね。主人公ならなおさらですが、敵にするのも難しい。『テニスの王子様』の不二君クラスの派手な描写でも厳しいでしょう」
「目が見えない状態でテニスとか、二重の超回転とかか。『星花火』は凡人にはアウトにしか……。それでも表現しきれないのは他のキャラクターもとんでもないからだろうな。『天才』と呼ばれるまでの他者との絶対的な差を描くのは、バトル漫画では特に大変だ」
「一応テニス漫画ですけれどね……」
「うん……さて、そんなこんなで『すべてがFになる』だ。森博嗣先生のデビュー作であり、『第一回メフィスト賞』受賞作品でもある力作だ」

《『天才』の定義》
「では、あらすじ、いきますね。
 犀川創平助教授研究室の面々は、こぞって姫真加島(ひめまかじま)へ旅行に出かける。島には天才・真賀田四季の研究所があり、犀川先生を慕う西之園萌絵さんは犀川先生を半ば無理矢理に研究所へ連れて行きます。そして不思議な殺人事件が発生する……こんな感じで」
「そんな感じ。四季は『天才』という属性を与えられたキャラクターだ。主に人工知能の分野で業績を残している。と言ってもその研究分野は多岐に渡るようだけどな。しかし、彼女は研究所の中心人物でありながら、隔離されている」
「過去に犯した殺人が原因で、ですね。その辺りは作中で語られます」
「そして彼女の部屋から死体が発見されるわけだ。中には四季一人しか居ない密室状態だったはずだから、この事件は『密室殺人』にあたるな。」
「『すべてがFになる』は『S&Mシリーズ』の第一作です。このシリーズの特徴は、主人公兼探偵である犀川先生が積極的に事件に関わろうとしない、という点でしょう。ヒロインである西之園萌絵さんがもうそれこそ自殺行為なんじゃないか、という位にガンガン突き進み、犀川先生はそれを冷静に見ている、というお話が大半です」
「『F』はそうでもないけどな。それから、森博嗣先生の作品はよく『理系ミステリ』等と呼ばれるが、俺はそんなんでもないかなーと思っている。というか、そんなに一般人が理解出来ない高等な理系要素が含まれているとは感じないんだな。だから、理系なんてさっぱり、っていう文系な人たちにもオススメできる。俺自身思いっきりコテコテの文系人間だけど、森作品は大好きだからな」
「『F』では確かにプログラムやら暗算やらいわゆる『ユビキタス』なコンピュータシステムなんかが登場していましたが、他のシリーズ作品はもっと理系色が薄くなりますものね」
「『私的詩的ジャック』なんて題名通り詩的だしな。森作品全体を見ても、むしろ哲学的な面からの考察のほうが多い。ただ、考察の視点の特異性を『理系的』と評することも出来なくはないと思うけどさ。使っているモチーフが理系的な事柄なだけで、本質的には一般のミステリと変わらないと思う。もちろん、その『質』は段違い、と俺は思っているけどね」
「私もですよ。さて、この作品のキーパーソンである真賀田四季さんですが、『天才』というだけあって相当な変わり者です。冒頭の描写を読むだけで一目瞭然ですけれどね」
「彼女のやったことをどう思うかは読者次第だ。そして彼女のやろうとしたことも、な。『F』は四季の存在から、他作品よりも『理系』色が強く描かれている。解決シーンなんてもうなんと言えばいいか……。ともかく、『F』の真相を推理する為に必要なことは一つ。つまり、特殊なモチーフに惑わされないように気をつける、ってことだ。真相は案外すぐ近くにある」
「特殊なモチーフ……ウエディングドレスにロボットとか色々と出てきますよね〜。
 それでそれで、『天才』って結局なんでしょう?」
「四季の天才っぷりは『四季 The Four Seasons』に詳しい。俺は『天才』とは特異性、だと思っている。特異性なんて人間みんな持っているが、その特異性が他に際立って大きい者。それを『天才』って呼ぶんじゃないかな」
「ってことは、殺人を起こす人は」
「ある意味では『天才』になってしまうな。つまり、『天才』を全肯定することは出来ない、ってことか。……う〜んやはりこの定義では足りないな。もう少し考えてみる」
「私も考えて見ましょうかね。皆さんも、ご一緒にどうですか?」

「ありません。あの方……、西之園さん……あの方の発想は天才的だわ。予測が出来ない。あの才能は、とても貴重なものです」
「でも、彼女は間違っている」犀川は言う。
「ええ、そうね。先生が正しい」人魚は嬉しそうに言った。
(『すべてがFになる The Perfect Insider』より引用)

すべてがFになる (講談社文庫)

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